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【F1】惜しくも僅差で王座を逃し無冠に終わったドライバーたち

モータースポーツの頂点、F1のワールドチャンピオンを獲得することは、レーシングドライバーにとって大変名誉ある称号です。
しかし、中には僅差でチャンピオンを逃し、そのまま無冠に終わってしまった悲劇のドライバーたちが存在するのです。

今回は、僅差でチャンピオン争いに破れ、F1で無冠に終わってしまったドライバーたちを、様々なエピソードと共に解説していきたいと思います。

僅差で王座を逃し無冠に終わったドライバーたち

ディディエ・ピローニ

引用:https://cdn.motorsportmagazine.com/wp-content/uploads/2021/11/05161108/Pironi-sprays-champagne-at-1982-San-Marino-Grand-Prix.jpg

1982年、フェラーリ移籍2年目のディディエ・ピローニは第4戦サンマリノGPで移籍後初勝利を挙げたものの、このレースでチームオーダーの解釈の違いによるビルヌーブとの確執を生み、翌第5戦ベルギーGPでこの確執が遠因となった大事故が発生。

この事故でチームメイトのビルヌーブが犠牲になってしまいます。

するとピローニは、第8戦カナダGPでもリカルド・パレッティの悲劇の事故の当事者になってしまい、辛いシーズンを過ごしていました。

ただ、成績の方はシーズン終盤戦に差し掛かった段階でドライバーズランキングでトップに立っており、初のワールドチャンピオンの可能性が高まっていました。

しかし、そのピロー二にも悲劇が訪れます。

第10戦のドイツGP、大雨のフリー走行中に、スロー走行中の前のマシンに譲ってもらって進路を変えたアラン・プロストに追突。
宙を舞い激しくクラッシュしたピローニは、両足に重傷を負ってしまいます。

これにより、シーズンの残りのレースを全て欠場したピローニはウイリアムズのケケ・ロズベルグにランキングで逆転され、5ポイント差の僅差で初チャンピオンを逃すことになってしまいました。

シーズン終了後、入院するピローニの元にフェラーリの創設者エンツォ・フェラーリから、「ピローニが真のF1チャンピオンだ」というメッセージと共に特製のトロフィーが贈られたといいますが、ピローニの怪我は深刻で、彼が再びF1に戻ってくることはありませんでした。

エディ・アーバイン

引用:https://www.deviantart.com/f1-history/art/Eddie-Irvine-1999-393137302

1996年からミハエル・シューマッハのチームメイトとしてフェラーリのレギュラードライバーに大抜擢されたエディ・アーバイン。

ミハエルとともにチームを再構築することになったフェラーリでのアーバインの役割は明確で、常にミハエルのサポートに回ることに。

チームからの待遇やレース中の戦略の優先権はすべてミハエルにあり、ミハエルがチャンピオン争いをするまでチームの戦闘力上がったにもかかわらずアーバインは96年から98年の在籍3年間で未勝利に甘んじていました。

しかし、1999年、
そんなアーバインにチャンスが訪れます。

アーバインは、開幕戦オーストラリアGPでF1初優勝を果たすと、第8戦イギリスGPでエースのミハエルがクラッシュを起こし負傷するアクシデントが発生。
ミハエルは長期欠場を余儀なくされたため、チームは代わりにアーバインをファーストドライバーとして指名。

一時的にエース待遇を受けることになると、ミハエルの代役、ミカ・サロのサポートもあり、第9戦オーストリアGP、第10戦ドイツGPを連勝します。

これによりポイントリーダーに立ち、チャンピオン争いに名乗りを上げると終盤までミカ・ハッキネン、デビッド・クルサード、ハインツ・ハラルド・フレンツェンらと激しいチャンピオン争いを展開。

残り2戦となった第15戦マレーシアGPで優勝したことで有利な状態で最終戦日本GPを迎えました。

しかしこのレースでは、2番手スタートのハッキネンが意地を見せ完勝。
アーバインは千載一遇のF1チャンピオンのチャンスを逃す形となりました。

フェリペ・マッサ

引用:https://cdn.sportslumo.com/wp-content/uploads/2021/07/01131819/Massa-2-compressed.jpg

フェリペ・マッサは、ルーベンス・バリチェロの後任としてフェラーリに移籍。

2008年にはチャンピオン争いを展開することになります。

第3戦バーレーンGPでシーズン初優勝を決めたマッサはその後、好調をキープ。
前年王者のチームメイト、キミ・ライコネンや、マクラーレンのルイス・ハミルトンらとチャンピオンを争います。

第17戦までを終え、5勝を挙げたマッサはランキングトップのハミルトンに7ポイントリードを許しており、ランキング2位で最終戦の母国ブラジルGPを迎えます。

予選でマッサが見事ポールを獲得。
対するハミルトンは4番手。

マッサがそのまま優勝すると、ハミルトンが6位以下でマッサのタイトルが決まるという状況でした。

決勝レースでは雨まじりの難しい展開の中、マッサが見事優勝。
対するハミルトンは、自力王座獲得圏内の5位を走行していましたが、終盤にトロロッソのセバスチャン・ベッテルにかわされ6位に転落。
ハミルトンはマッサがチェッカーを受けた段階でもなお6位を走行しており、この段階でマッサのチャンピオンは決まったかに思われました。

しかし、最終ラップの最終コーナーで4位マシンがスローダウン。
これによりハミルトンは土壇場でポジションを上げ5位でチェッカー。

これによりハミルトンが初のワールドチャンピオンに輝き、マッサはわずか1ポイント差で、初王座を逃す悔しい結果となりました。

ジャッキー・イクス

引用:https://s.cdnmpro.com/674711093/content/0200/Jacky%20Ickx.png

1970年にフェラーリに復帰したジャッキー・イクスもわずか数ポイント差に泣いたドライバーの一人です。

この年はロータスのヨッヘン・リントがシーズンを支配し、5勝を挙げて、終盤戦までチャンピオンシップを大きくリード。

リントのチャンピオン獲得はほぼ確実だと見られていました。

しかし第10戦のイタリアGPの予選でリントが大クラッシュを起こしてしまい他界。

イクスはこの時点でランキング4位につけていましたが、リントを失った次の第11戦カナダGPで優勝。

「手を抜いた走りをするのはリントに失礼」という想いから鬼神の走りをみせ、さらに翌戦のアメリカGPで4位に入賞したのち、最終戦メキシコGPでも優勝。

しかし王座にはわずかに5ポイントリントに及ばずリントがワールドチャンピオンを獲得しました。

【動画で解説】僅差で王座を逃し無冠に終わったドライバーたち