F1

【空力の鬼才】エイドリアン・ニューウェイの功績と名車が凄すぎる【F1】

adrian-newey

高い空力性能を誇る名車を次々と開発し、F1で多くのタイトル獲得に貢献してきた「空力の鬼才」エイドリアン・ニューウェイ。
その彼の半生はどのようなものだったのでしょうか。

今回はF1マシンのデザイナー、エンジニアとして数々のタイトルをもたらした空力の鬼才、エイドリアン・ニューウェイのキャリアと代表作といえるマシンたちを紹介していきます。

2022 FIA Formula One World Championshipの公式ビデオゲーム、EA SPORTS F1 22でFormula 1の新時代に参加しましょう。

空力の鬼才!エイドリアン・ニューウェイの功績と名車が凄すぎる

アメリカで成功を収めた若き日のニューウェイ

12歳の頃にはすでにレーシングカーの設計者を志していたというエイドリアン・ニューウェイは、14歳になると中古のカートを購入し、自らエンジンをリビルドしたり、フレームを溶接するなどしていたといいます。

ニューウェイが学生時代を過ごした1970年代後半は、レーシングカーの空力設計の重要性が認識され始めたばかりで、グラウンドエフェクトカーが登場し始めた時代。
レース業界で働きたかったニューウェイは、メカニックの多くが専攻する機械工学よりも、レース界にまだまだ専門知識を持った者が少なかった空力を学ぶため、航空力学を専攻。

1980年に大学卒業とともに、F1に参戦していたフィッティパルディチームに採用されました。
しかし、フィッティパルディは1982年を最後に消滅。

離職を余儀なくされたニューウェイはイギリスのマーチに転職しグループCカーのデザインを担当しながら、ヨーロッパF2などでレースエンジニアを兼任していました。

ニューウェイが最初に設計したグループCカー、マーチ83Gは1983年のIMSA GTPクラスを制覇。
翌年の84Gでも連覇を達成しました。

更にこの84年にはインディカーのデザインも手掛け、ニューウェイが設計した84Cがインディ500を制覇。
ニューウェイの設計したマシンは4年連続でインディ500を制し、85年と86年にはCARTのシリーズタイトルも獲得。

さらにボビー・レイホール、マイケル・アンドレッティ、マリオ・アンドレッティらのレースエンジニアも担当しました。

アメリカで大きな成功を収めたニューウェイはその後F1に参戦していたハースチームのレースエンジニアも担当しF1の現場に復帰すると、1987年からはマーチに復帰しレイトンハウスとのジョイントでF1参戦を再開した同チームでマシンデザインを手掛けることになるのです。

そしてついに、1988年にはニューウェイが初めて手掛けたF1マシン、「マーチ881」が実戦デビュー。

881はマシン正面から見たモノコックの断面に、下から上に広がる独特な形状を採用し、フロントウイングの翼端板を立体形状にするなど工夫を凝らし、空力性能に優れ、パワーで不利なNAエンジン勢のなかでも光る走りを披露。
第13戦ポルトガルGPでは、イヴァン・カペリが2位表彰台を獲得し、第15戦日本GPでは、カペリが序盤にトップのマクラーレン、アラン・プロストに食らいつく走りで一時ラップリーダーを記録。

ニューウェイの名はF1界でも一躍知られるようになっていったのです。

しかし、翌1989年のマシン「CG891」は神経質な挙動のマシンとなってしまい、前年から一転苦戦。
1990年、ニューウェイは前年導入された風洞設備を用いて「CG901」を製作しますが、誤った風洞データを用いて設計してしまい大苦戦。
バンピーな路面との相性は最悪で、第2戦ブラジルGP、第6戦メキシコGPでは予選落ちを喫してしまうなど散々な結果でした。

するとニューウェイはこの不振の責任を取らされる形でメキシコGP終了後にチームから解雇されてしまうのです。

ウイリアムズで黄金時代の立役者に!

レイトンハウス(マーチ)を追われてしまったニューウェイが次に所属したのは、ルノーとともにチャンピオン奪還を狙うウイリアムズでした。

ウイリアムズは89年からニューウェイの実力を評価し引き抜きを画策していましたが、レイトンハウスを解雇されたと聞いてすぐさま契約を結び、チーフデザイナーとして彼を迎え入れたのです。

そして1991年、ウイリアムズはニューウェイとパトリック・ヘッドが共同設計したFW14を投入。
惜しくもチャンピオンを逃したものの、ナイジェル・マンセルがマクラーレンのアイルトン・セナと終盤までタイトルを争う走りを見せました。

すると翌年は改良を加えたFW14Bを投入。
FW14はもともとニューウェイが設計した高い空力性能をもっていましたが、FW14Bで投入されたアクティブサスペンションにより、車体姿勢や車高を常に最適な状態に保つことができ、そのポテンシャルを最大限に引き出すことに成功しました。

その他、セミオートマ、トラクションコントロールなどのハイテク装備、成熟の進んだルノーRSエンジンなどが噛みあい、この年のウイリアムズは16戦中10勝、ポールポジション15回を獲得し、マンセルのドライバーズタイトルと、コンストラクターのダブルタイトルを獲得。

ニューウェイにとっても初のF1でのタイトルとなりました。

翌1993年もチームは発展型といえるFW15Cを投入し、プロストとデーモン・ヒルのコンビで連覇を達成。

しかし、1994年にはウイリアムズが優位性を持っていたハイテク装備がレギュレーションで禁止になってしまいます。

ニューウェイとヘッドはこの対応に苦慮。
この年設計されたFW16は、速さはあったものの大変神経質な挙動のマシンになってしまいました。

ウイリアムズはエースドライバーにセナを迎え入れ、3連覇を狙ったこのシーズンでしたが、第3戦サンマリノGPでそのセナが事故により他界。

失意のシーズンとなった94年ですが、チームは3年連続のコンストラクターズタイトルを獲得。
1996年には、FW18が92年を上回るシーズン12勝を挙げ、ダブルタイトルを奪還しました。

しかし、このシーズンの終了後、ニューウェイはウイリアムズが契約不履行をしているとして突如出社を拒否。

ウイリアムズの代表、フランク・ウイリアムズはこの年チャンピオンを獲得したヒルを解雇し翌年のドライバーとしてハインツ・ハラルド・フレンツェンと契約したことが物議を醸していました。
92年にも王座を獲得したマンセルに減俸を提示し契約交渉で駆け引きを迫るなど、フランクは度々ビジネスライクなドライバー人事を行っており、ニューウェイはこのやり方に疑問を感じていたのです。

結局、ニューウェイはこの年限りでチームを離れることになりますが、彼が設計した翌1997年のマシンFW19も、ダブルタイトルを獲得。

彼が手掛けたウイリアムズのマシンは通算51勝を挙げ、まさにチームの黄金期の立役者となったのです。

低迷する名門マクラーレンの復活に貢献

ウイリアムズを離れたニューウェイは1997年の途中からマクラーレンに加入。

90年代中盤は深刻な低迷を続けていたマクラーレンは、この頃徐々に復調。
97年の開幕戦では4年ぶりの勝利を挙げていました。

ニューウェイはニール・オートレイが基本設計を行っていた1998年型のマシン、MP4-13に手を加えると、そのマシンが98シーズンのF1を制圧。

開幕戦オーストラリアGPではミカ・ハッキネン、デビッド・クルサードのコンビが他の全チームを周回遅れにする圧倒的な速さでワンツーフィニッシュを達成すると、ハッキネンがその勢いのままシーズン8勝を挙げ王座を獲得。
チームにダブルタイトルをもたらしました。

翌1999年は、自身が1から設計を担当したMP4-14を製作。
信頼性の問題で苦しんだことでチームタイトルはのがしたものの、ハッキネンが2年連続となるドライバーズタイトルを獲得。

マクラーレンでも成功を収めたニューウェイでしたが、その後はミハエル・シューマッハとともに黄金期を迎えたフェラーリに苦戦。
2000年代に入るとニューウェイはチーム内の政治的な動きや首脳陣の対立にストレスを抱え、2006年にはレッドブルへ移籍します。

レッドブルでも黄金期を創り上げるニューウェイのマシン!手掛けたマシンはF1通算100勝!

レッドブルでニューウェイが手掛けた最初のマシンは2007年の「RB3」。
予選で特に速さを見せ表彰台を獲得するなど結果を残しましたが、信頼性不足が仇となり、安定して上位に食い込むことはできていませんでした。

レッドブルで転機が訪れたのは2009年。
この年からレギュレーションが大幅に変更され、マシンのエアロパーツから発生される後方乱気流を抑制し、オーバーテイクを増やす目的で、前後ウイングの規定寸法の変更や空力付加物が禁止され、運動エネルギーを回生するKARSの搭載が許可されました。

他チームがKARSの開発に注力する中、この年レッドブルが投入したRB5はニューウェイを中心に空力開発を優先し製作されました。

その結果、レッドブルは序盤戦でこの年チャンピオンを獲得するブラウンGPに次ぐ速さを見せ、第3戦中国GPでセバスチャン・ベッテルが優勝を果たしレッドブルにとっての初優勝を達成。

この年はシーズン6勝を挙げるコンストラクターズランキング2位に食い込む大躍進を見せたのです。

すると、翌2010年には、ディフューザーにエンジンの排気を吹き掛けることでダウンフォースを増加させる「ブロウンディフューザー」などのアイディアを盛り込んだ「RB6」を製作。
ブロウンディフューザーの効果は絶大で、生み出されたダウンフォースの理論値はF1史上最大だといわれました。

するとベッテルとウェバーが計9勝を挙げ、ベッテルに史上最年少のドライバーズタイトル、レッドブルに初のチームタイトルをもたらし、ダブルタイトル獲得を達成したのです。

以降レッドブルの絶対的な速さはしばらく続き、2013年までベッテルとレッドブルは4年連続のダブルタイトルを獲得。
4年間で41勝を挙げる黄金時代を築いたのです。

ニューウェイは2014年にF1の現場を離れ、以降はアドバイザーとしてチームに携わっていましたが、2017年頃から再びマシン設計に関与するようになり、チームがホンダとタッグを組んだ2019年から本格的に復帰。

2021年には設計を手掛けた「RB16B」が7年連続でダブルタイトルを獲得していたメルセデスの壁を崩し、見事マックス・フェルスタッペンがドライバーズタイトルを獲得したのです。

独創的なデザインやブロウンディフューザー、ハイレーキなどに代表されるコンセプトなどで数々の名車を生み出し、所属したチームのほとんどを成功に導いたエイドリアン・ニューウェイ。

まだまだ現役でF1マシンを手掛けるニューウェイですが、その功績は今後も語り継がれていくことでしょう。

【動画で解説】空力の鬼才!エイドリアン・ニューウェイの功績と名車が凄すぎる