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【あのハントを発掘】金持ち貴族の道楽F1チーム「ヘスケス」とは?

かつて、レースのあとはいくら成績が悪くても毎晩パーティー、シャンパンを水代わりに開ける、グランプリの雰囲気を楽しむためにレーシングチーム立ち上げ…
そんなチームがF1に参戦していました。

しかし、そのチームは、のちのF1ワールドチャンピオン、ジェームス・ハントを発掘し、F1で優勝までしてしまったのです。

今回はかつてイギリスの貴族、アレクサンダーヘスケスが立ち上げたF1チーム「ヘスケス」の歴史とエピソードを解説していきます。

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金持ち貴族の道楽F1チーム「ヘスケス」とは?

イギリスの青年貴族がノリでF1に参入

イギリスとアイルランドの連合王国貴族としても知られるヘスケス家に生まれたアレクサンダー・ヘスケスは、若くして3代目ヘスケス男爵としてその名が知られていました。

かねてからモータースポーツに興味があったアレクサンダーは旧友であるF3ドライバーのアンソニー・ホースリーと1972年には自らの名を冠したレーシングチーム「ヘスケスレーシング」を設立。

このチームはいわばアレクサンダーの趣味のようなものでした。

設立当初から異彩を放っていたヘスケスは同年にはF3に参戦を開始しますが成績は低調。

しかしチームは半ばアレクサンダーの道楽チームであり、チャンピオンシップでの優勝を目指すというよりは、ヨーロッパ各地のF3レースにできるだけ多く参戦しレースを楽しむことを優先。

ロールスロイスでサーキットに乗り付け、シャンパンを水代わりに開ける豪快な振る舞い、そしてレース後はいくら結果が悪くてもチーム総出でパーティー三昧という異色のスタイルは、「プレイボーイスタイル」と呼ばれ知られるようになりました。

アレクサンダーはこの頃、ステップアップなど特に考えておらず「楽しければそれでいい」と考えていたのです。

しかし、あるドライバーとの出会いによってチームは転機を迎えることになります。

それが同時期にF3に参戦していたジェームス・ハント。
ハントは69年からF3に参戦を続けるも鳴かず飛ばずで、無謀なドライビングでクラッシュが多かったことから「壊し屋ハント」というあだ名で呼ばれるようになっていました。

アレクサンダーは自身と同様に上流階級の家庭で育ち、夜遊び好きのハントとすぐに意気投合。
ヘスケスレーシングはハントをドライバーとして起用するようになります。

するとハントはとんでもない速さを披露。

これに感銘を受け、結果を求めてレースに参戦する醍醐味を知ったアレクサンダーは、1973年からハントを起用してヨーロッパF2選手権へフル参戦することを決めるのです。

しかしこのF2では、ハントがマシンを全損させるクラッシュを引き起こしてしまいます。

この時、マシン修復による出費を迫られたアレクサンダーは「F2もF1も対してコストは変わらないだろう、それならF1に出よう」という軽い気持ちで、F1へのステップアップをあっさり決定。

ヘスケスはスポンサーを募らないことを信念とし、チームの運営予算は完全にヘスケス一族から相続されたアレクサンダーの自己資金で賄われ、チームのファクトリーはイギリス・トウチェスター近郊のヘスケス一家の屋敷の一角を使用していました。

マシンはマーチ731を購入して使用。
この時、当時マーチに所属していたハーベイ・ポスルスウェイトをエンジニアとして起用し、既成シャーシの731は戦闘力アップが図られました。

F1で善戦も道楽体質変わらずパドックでは笑いものに…

こうして1973年の第6戦、モナコGPからハントと共にF1にデビューしたヘスケス。

F3時代の評判から、「貴族の道楽」という評判が知られていたヘスケスチームへのF1関係者からの視線は冷ややかでしたが、
デビュー戦となったこのモナコではハントが一時入賞圏内の6位を走行。

エンジントラブルでリタイア(完走扱いで9位)となったものの、可能性を見せたデビュー戦となったのです。

すると参戦2戦目となった第8戦フランスGPでは6位でチェッカーを受け初入賞。
翌戦のイギリスGPでは4位に入りファステストラップも記録する走りを見せ、チームの期待が高まると、第10戦オランダGPではなんと3位表彰台を獲得。

F1デビュー4戦で表彰台を獲得する快挙を成し遂げたのです。

更にチームは第15戦アメリカGPで2位を獲得し、シーズンの約半分しか参戦していないにも関わらずハントがこの年のドライバーズランキングで8位を獲得。

当時のF1では、小規模チームはレーシングコンストラクターからマシンを購入して参戦するパターンが王道でしたが、アレクサンダーはこの結果を受けて翌74年は自社製シャーシを製作して挑むことを決意します。

そして、ポスルスウェイトが初めて設計したF1マシンとなったのが74年にF1に投入されたヘスケス308。
308はマーチ731のテクノロジーを流用しつつ、トップチームのマシンを参考にしたアイディアを随所に採用。

エンジンはV12エンジンを載せる構想もあったもののV8のフォードDFVに落ち着き、バランスの取れたパッケージにまとめられました。

308の戦闘力はそこそこ高く、参戦2年目の74年も速さを見せたヘスケスですが、13戦中8回のリタイアを喫しシーズンを通して信頼性の問題に悩まされ続けることになりました。

完走したレースでは速さを見せ、ハントは3位表彰台を3度獲得したものの、最後まで信頼性の問題を解決することができず、周囲からは「信頼性が低いのはメカニックがパーティーに忙しすぎて整備ができないからだ」と揶揄され笑いものに。

しかし、それもあながち間違いではなく、ヘスケスの派手な道楽気質は相変わらずで、メカニックですら5つ星ホテルに宿泊し、連続リタイアが続くチーム状況の中でも週末に行われるチーム総出のパーティーは変わらず開催されていたのです。

貴族の本気!下馬評覆しF1初優勝

F1参戦3年目となった1975年。

ポスルスウェイトは前年の課題であった信頼性の問題を対策した308Bを製作。

ラジエターの搭載位置などを見直した他、空力も改良が加えられ、開発を続けていたサスペンションのラバースプリングを実戦投入。
満を持してシーズン開幕を迎えたのです。

するとヘスケスは開幕戦アルゼンチンGPでハントがいきなり2位表彰台を獲得。
翌戦のブラジルGPでも6位入賞を果たし幸先の良いスタートを切ります。

そして、迎えた第8戦オランダGP。

予選でハントはフェラーリのニキ・ラウダ、クレイ・レガッツォーニに次ぐ3番手を確保すると、
雨まじりの難しいコンディションでラウダとのマッチレースを制し、トップでチェッカー。

自身とヘスケスチームに初優勝をもたらしたのです。

その後ヘスケスはは新スペックシャーシの308Cを投入して戦闘力が増しハントが第9戦フランスGP、第12戦オーストリアGPで2位を獲得するなど、上位フィニッシュを続け、ランキング4位を獲得。
ヘスケスは躍進を遂げることになったのです。

豪遊仇となり資金難に陥ったヘスケス…スポンサー解禁も手遅れでF1撤退

順風満帆に思われたヘスケスでしたが、裏では思わぬ苦難に直面していました。

スポンサーを募らず、アレクサンダーの自己資金で賄っていたチームの運営費が枯渇。
チームは初優勝を成し遂げた75年の中盤には資金難に陥っており、賞金やスペアカーを別のプライベーターに貸し出して得たレンタル料を運営費に当てていました。

この頃にはヘスケスの代名詞とも言える送迎車のロールスロイスやシャンパンはピットガレージから姿を消し、質素な雰囲気に…

そしてシーズン終了後の11月。

アレクサンダーはチームの解散を発表。
チーム運営から手を引いたのです。

しかし翌年、ハント加入後はチームマネージャーに転身していたホースレーがチーム存続のために奔走。

308Cをウイリアムズに売却し、スポンサー募集も解禁。
男性誌のスポンサーを獲得したことで資金を確保し、旧型の308Bを改良したマシンなんとか継続参戦にこぎつけたのです。

しかし前年の解散宣言を受けてハントはマクラーレンへ、ポスルスウェイトはウイリアムズ(ウルフ)へ移籍。

優秀なドライバーとエンジニアを失い、旧型のマシンの改良型で参戦したヘスケスに前年までの戦闘力はなく、予選では20位前後を彷徨い低迷します。
さらに1977年も戦闘力は改善せず、予選落ちの頻度も次第に増えていく状況でした。

そして1978年、予選落ちの回数は更に増え、ついに見切りをつけたホースレーはこの年の第6戦ベルギーGPを最後にチームの撤退を決断。

イギリス有数の青年貴族が立ち上げたド派手な道楽チームの幕切れは、あまりに地味なものでした。

チームの創設者であるアレクサンダーはその後、1982年に2輪業界に参入しヘスケスモーターサイクルを設立しますがこれも失敗に終わり、その後は政界にも本格的に進出。

ハントはマクラーレンに移籍した1976年に、ニキ・ラウダとの熾烈なチャンピオン争いを制し初のワールドチャンピオンを獲得。

ポスルスウェイトはウイリアムズを買収したウルフが消滅した後、フェラーリに移籍し、ジル・ヴィルヌーブの最後のマシンとなってしまった126C2の開発を手掛け、コンストラクターズタイトルの獲得に貢献するなど、F1でも有数のデザイナーとしてキャリアを過ごすことに。

貴族の素人集団が道楽のために始めたF1チームが挙げた奇跡の勝利と、そのド派手なエピソードの数々は今後も古き良き時代のF1の伝説として語り継がれて行くことでしょう。

【動画で解説】金持ち貴族の道楽F1チーム「ヘスケス」とは?

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レイン@編集長
F1・モタスポ解説系YouTuber。 レースファン歴数十年です。 元アマチュアレーサー。 某メーカーのワンメイクレースに5年ほど参戦していました。