スーパーGT

スーパーGT(JGTC)で活躍したトヨタ80スープラの功績と開発秘話

日本で絶大な人気を誇るスーパーGT。
トヨタ、ホンダ、日産の3大メーカーがしのぎを削るそのレースで4度のタイトルを獲得したトヨタ・JZA80スープラ。
時代が移り変わる中で速さを発揮し続けたその進化の歴史はどのようなものだったのでしょうか。

今回はトヨタの名車、JZA80スープラの全日本GT選手権(JGTC)、スーパーGTでの歴史とエピソードを開発秘話などを紹介したいと思います。

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スーパーGT(JGTC)で活躍したトヨタ80スープラの功績と開発秘話

グループCの生まれ変わりだった初期のJGTCスープラ

1990年代初頭の日本のモータースポーツ界は、世界のモータースポーツのトレンド変化に伴い、主要レースカテゴリの移り変わりが進みました。

80年代に一世を風靡したグループCレースが終焉。
1992年に、グループC規定で行われていたスポーツカー世界選手権が終了すると、日本でも同規定を採用していた全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)が終了。

1993年には、イギリスで独自の規定で開催されていた4ドアツーリングカーレースの盛り上がりを受けて、それまでグループA規定で開催されていたJTCを終了し、1994年からJTCCとして生まれ変わる事になりました。

するとJSPCの後継レースの必要性と、JTCで最強を誇っていた日産R32GT-Rが参戦できるレースを確保するという、2つの大きな思惑が重なり、1993年にスーパーGTの前身、全日本GT選手権が発足したのです。(シリーズ戦は1994年から)

トヨタでは93年に当時フルモデルチェンジされたJZA80スープラの販売が開始され、現在のスーパー耐久であるN1耐久でプライベーターチームがこのJZA80スープラを走らせていました。

TRDは94年から発足するJTCC参戦車両の開発も担っていたことから、93年に行われたJGTCのプレシーズンレースには、このN1車両のスープラをJGTC仕様に合わせるための技術協力を行うに留まりました。

しかし、プライベーターが走らせたこのマシンは、熟成が進んでいたR32GT-Rに太刀打ちできるようなポテンシャルはなく、TRDは94年から本格開始するJGTCで、GT-Rと戦えるマシンを開発する必要性を痛感。
本格的にGT参戦車両の開発に乗り出すのです。

当時のTRDでは、JGTC車両の開発に割ける予算が殆どありませんでしたが、終了したグループCカーレースのパーツが大量に余っていたことに目をつけます。
T
RDはこれを流用すれば、予算を抑えて戦闘力の高い車両を製作できるのではないかと考え、92年までIMSA GTPに参戦していたグループC車両に搭載していた、直列4気筒ターボの3S-G(503E)エンジンをGTスープラに搭載。

更に足回りは、SWCやルマンで活躍したTS010のものの一部をそのまま流用。
こうしてTRD製作のJZA80スープラはJGTCの正式シリーズがスタートした94年の第4戦SUGOでデビューしたのです。

しかし、グループC仕様のエンジンや足回りが機能し速さを見せたものの、その負荷の高さから駆動系のトラブルが多発。
さらに、燃費に優れているはずのグループC用エンジンは、JGTCの規則に合わせ装着されたリストリクターによってその性能が最適化されず、燃費の悪化を招いていました。

グループCベースから脱却でJGTC初タイトルを獲得

翌1995年は4チームがこのJZA80スープラを走らせます。

この年は初めてシーズンを通して参戦したことで新たな問題が表面化。
タービンの発熱でトラブルが多発し、コクピットもレーシングシューズの底が溶けるほどの高温になったといいます。

そんな中で、第3戦仙台ハイランドではカストロールトムススープラの関谷正徳/ミハエル・クルムが優勝。
JGTCでの記念すべき初優勝を挙げたのです。

1996年に入ると、エンジンに大改良が加えられます。
ベースは従来の3S-Gで変わらなかったものの、グループC用の503Eをやめ、JGTC用に専用設計された661Eを新たに搭載。

新たなエンジンは排気量によって最低重量が決定されたGTのレギュレーションを考慮し、2リッターへ縮小。
ターボラグを発生させていたグループC用の大径のターボユニットもサイズダウンが図ることで対策がなされました。

しかしこの年のGT500は、マクラーレンF1GT-Rがシリーズを席巻。
国産勢が太刀打ちできず前年同様1勝に終わったものの、トムスが国産車勢の中では最上位のチームランキング2位を獲得します。

そして1997年、スープラは新エンジンの恩恵で軽量化が進み、課題であったエンジン廻りの剛性強化も実施。

また、前年驚異的な速さを誇ったマクラーレンは1年限りでGTから撤退し、スープラの敵はいませんでした。
この年、スープラはシリーズ6戦中5勝を達成。

そのうち2勝を挙げ、シーズンを通して安定した速さを見せたトムスもミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサ組が見事シリーズチャンピオンに輝き、スープラはついにJGTCで初タイトルを獲得したのです。

開発競争の波に飲まれ低迷

スープラが初めてタイトルを獲得した97年、JGTCの歴史を変えたあるマシンが参戦を開始します。
それは、無限と童夢のプロジェクトによって投入された、ホンダNSX。

NSXは96年にルマンGT2仕様のマシンがJGTCに持ち込まれていましたが、97年にはJGTCのレギュレーションを突詰め、トヨタや日産が実施していなかったマシン底面の空力を徹底的に追求したNSX-GTを製作しJGTCに投入したたのです。

するとNSXはた翌1998年に4勝。
速さを見せたことでJGTCではこの3メーカーの開発競争が過熱し、空力の重要性も高まって行ったのです。
そしてこの年はNSXが最多勝、GT-Rがシリーズチャンピオンを獲得した一方、スープラは94年以来の未勝利に終わってしまいます。

1999年はGTスープラの大幅な改良を実施。
サスペンションは量産車ベースの設計をやめ、レーシングカーを中心に採用されるインボード形式に置き換えられました。
そして、NSXに追随する形で空力設計も一新。

これによりこの年のスープラは、チャンピオンこそ逃したもの、全7戦でポールポジション5回、優勝3回という速さを発揮。
速さを取り戻し復活の兆しを見せたのです。

速さを取り戻し2年連続タイトル!最後は大排気量NA化

99年に速さを見せたスープラは、2000年代に入っても進化を続け、2001年にはauセルモスープラ、立川祐路/竹内浩典組がシリーズチャンピオンを獲得。

2002年もNSX勢の猛追を振り切り、エッソウルトラフロースープラの脇阪寿一/飯田章がチャンピオンを獲得し、スープラは2年連続の王座に。

開発競争が加熱する中で連覇の偉業を達成したスープラでしたが、空力上がりが速さに影響を及ぼすようになっていくと、スープラの小排気量ターボエンジンの優位性が失われはじめていました。

そこで2003年には、極秘にシミュレーションを繰り返したという5.2リッターV8NAの3UZ-FEエンジンを搭載。
これによりストレートスピードが大幅改善され、直線で圧倒的な速さをほったのです。

しかし、この年導入されたフラットボトム規制などにより空力性能が低下。
スープラの弱点であった剛性不足も相まってピーキーで安定しないマシンとなってしまい、チャンピオンを逃す結果となってしまいました。

2004年は前年速すぎたエンジンの性能調整としてスープラのリストリクター経が見直されたことへの対策として排気量を4.5リッターへ落としてシーズンに挑みますが、この年日産が投入したZ33に破れ、タイトル獲得はなりませんでした。

そしてJGTCがスーパーGTとして生まれ変わった2005年。
スープラはタイトル奪還のために大改良を実施。

車体の剛性不足の解消が求められた新型車の開発は思うように進まず、開幕戦岡山では前年型のマシンを使用するイクリプスアドバンスープラが優勝してしまうという皮肉な結果を招いてしまいます。

しかし、開発の問題が解消した第2戦富士以降は本来の性能を発揮。
シーズン5勝(前年型含む)を挙げ、ZENTセルモスープラの立川祐路/高木虎之介がチャンピオンを獲得。
王座奪還に成功したのです。

そして、トヨタは2006年からレクサスブランドのSC430でスーパーGTに参戦することを発表。
一部のチームは翌年も2006年もスープラを使用しましたが、翌年からはトヨタ系のチームがすべて(GT500のみ)SCで参戦し、80スープラはその役目を終えました。

【動画で解説】スーパーGT(JGTC)で活躍したトヨタ80スープラの功績と開発秘話

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レイン@編集長
F1・モタスポ解説系YouTuber。 レースファン歴数十年です。 元アマチュアレーサー。 某メーカーのワンメイクレースに5年ほど参戦していました。