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【F1】一度もレースを走らなかった幻のマシン4選

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激しい技術競争が繰り広げられるF1の世界ではこれまで様々な名車が生み出されてきました。
しかしその一方で、製作されたにもかかわらず何らかの理由で一度もレースを走らなかったマシンも存在するのです。

今回は一度も実戦投入されることがなかった幻のF1マシンたちを紹介していきます。

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【F1】一度もレースを走らなかった幻のマシンたち

ウイリアムズFW07D/FW08B

F1の名門チームの一つ、ウイリアムズが1979年のシーズン途中から投入したマシン、FW07は、創設以来下位から抜け出せなかったチームを一気にトップチームに押し上げます。

このFW07は、当時グラウンドエフェクト構造をいち早く採用したロータス79を参考に製作されましたが、マシンのサイドスカートをバネ式にすることで車体下面の気密性を高め、路面に吸い寄せられるような強大なダウンフォースを発生させることに成功しました。

さらにその強大なダウンフォースに耐えうるアルミハニカム素材を使用したモノコックを採用。
剛性を高めていました。

ウイリアムズのこのマシンコンセプトは功を奏し、実戦投入された1979年から1982年までで通算15勝、チームを初勝利、初タイトルに導く名車となったのです。

そんなFW07の退役が検討され始めていた1981年末、ウイリアムズは後継車に斬新なコンセプトを打ち出します。
それが、リアタイヤを4輪とした驚きの6輪車計画です。

1976年から1977年にかけて、ティレルが6輪マシンのP34を投入し話題となっていましたが、P34は前輪が4輪となっており、ウイリアムズのものとは異なっていました。

チームは81年の後半に、FW07Dを6輪に改造しテストを実施。
翌年からの新車FW08は6輪車とすることを前提として設計されました。

小径タイヤをリヤに4輪並べることで空気抵抗を低減させることを狙った他、駆動輪が4輪になることでトラクションを稼ぐ効果も見込まれていました。

ウイリアムズは6輪車の設計をより成熟させるため、1982年は一旦、4輪のFW08を実戦に投入し、6輪車はFW08Bとして開発が続けられていましたが、82年末にレギュレーションが大幅に改定され、グラウンドエフェクトカーと6輪車の使用が禁止に。

ウイリアムズの6輪車計画も当然中止となり、FW08Bはお蔵入りとなってしまいました。

マクラーレンMP4-18

2003年、ライバルであるフェラーリに3年連続のダブルタイトルを許していたマクラーレンはニューマシン、MP4-18を発表。

当時のマクラーレンのテクニカルディレクター、エイドリアン・ニューウェイと、チーフデザイナー、マイク・コフランが中心となり設計されたこのマシンは、フロントサスペンションのロワアーム支持部分にツインキールを採用し、ノーズ下に取り込まれる気流を妨げないよう、斬新な極細のフロントノーズが採用されました。

しかし、開発の遅れから、このMP4-18はシーズンの開幕に間に合わず、2003シーズンの序盤は前年のマシンの改良型であるMP4-17Dで戦い、中盤戦以降にこの新車を投入することに。

しかし、コンパクトにまとめられたサイドポンツーンの形状により引き起こされていたエンジンの冷却問題を始め、テストではトラブルが頻発。
全くといっていいほど開発が進まないという事態に陥ってしまいます。

更にはその極細ノーズが災いしてか、レース車両に義務付けられるクラッシュテストに合格することができないという問題も発生しました。

これによりマクラーレンはシーズン中盤、MP4-18の実戦投入を諦め、MP4-17Dで2003シーズンを最後まで戦うことを決定。

この年はキミ・ライコネンが最終戦日本GPまで、ミハエル・シューマッハとタイトルを争いましたが、わずか2ポイント差でタイトルを逃す結果となってしまいました。

また、MP4-18のマシンコンセプトをベースとした開発は以降も続けられ、そのコンセプトは2004年に登場した後継車、MP4-19に引き継がれました。

トヨタTF110(ステファンGP S-01)

2008年、リーマンショックをきっかけとする世界的な経済状況の悪化により、ホンダがF1から撤退。

トヨタF1チームの母体であるトヨタ自動車も、2009年の3月期の連結決算で、実に59年ぶりの赤字を計上しており、本社の業績の悪化から、年間数百億円の予算を投入しているF1チームの運営が槍玉に挙げられるようになっていきました。

撤退が囁かれていたトヨタF1チームでしたが、2009年7月にF1の商業権などを定めるコンコルド協定に署名し、2012年までの参戦継続を発表。

こうした動きもありチームでは翌2010年用の新車、TF110の開発が進められていました。

TF110は特徴的なハイノーズやブロウンディフューザを兼ね備え、先代のTF109に比べて空力面が大幅に改善。
2010年のチャンピオンマシンである、レッドブル・RB6と同等の車高調整システムを搭載していたとされ、当時のトヨタのゼネラルマネージャー、パスカル・バセロンは、優勝も狙えるポテンシャルがあるとと語っていました。

しかし2009年のシーズン終了直後の11月、トヨタ自動車は突如、同年限りでのF1からの撤退を発表。
TF110は突如、F1に投入される機会を失ってしまいました。

その後、2010年からのF1参入を目指した新興チーム、ステファンGPがトヨタF1チームのマシン設計などの技術提供を受けることが決定。

2010年のエントリー枠はすでに埋まっていたものの、ステファンGPは新規参入チームのいずれかは財政問題で参戦を断念するだろうと見ており、参戦計画を推し進めていたのです。

トヨタから権利を取得したステファンGPのマシンはS-01と名付けられ、クラッシュテストにも合格。

ドライバーにはウイリアムズを放出された中嶋一貴を起用することを発表し、日本のファンからの注目も集めていました。

しかし、参戦準備は十分だったものの、肝心の参戦権を得ることができず、
2010年の開幕前にはチームの見込み通り、新規参入チームのUSF1が財政問題で参戦を見合わせることになったものの、FIAは開幕直前での参戦権の譲渡に難色を示したため、参戦を断念。

TF110改めS-01がグランプリを走ることはありませんでした。

フェラーリ 312B3

フェラーリが1970年から1975年にかけてF1に投入した312Bは、12気筒水平対向エンジン(正確な構造は180度バンクのV12エンジン)を搭載し、低重心化を実現。

5年間で優勝10回を挙げる活躍を見せていました。
1973年から1975年までは改良が加えられた312B3が使用されましたが、この312B3の試作車で一度も実戦に投入されなかったバージョンが存在します。

それが1972年末に発表されたマシン。
イタリア語で「除雪車」を意味するスパッツァネーヴェと呼ばれたこのマシンは、その名の通り、フロントに角型の幅広いノーズと巨大なダクト、雪かきのようなフロントウイングを備えた異質なデザイン。

このマシンは、数回テスト走行を行ったものの一度も実戦投入されずにお蔵入り。

後継バージョンである312B3-73が73年の第4戦スペインGPから投入され、お蔵入りとなった「除雪車」を手掛けたデザイナーである、マウロ・フォルギエリは、一時ロードカー部門に左遷されたと言います。

[動画で解説]【F1】一度もレースを走らなかった幻のマシンたち